2010年12月22日水曜日

2010年の新技術

写真1 小ギクの収穫機(奈良県のホームページより)


写真2 立ち枯れ病で枯れないカーネーション「花恋(かれん)ルージュ」(農研機構花き研究所育成)





日本の花の研究者の数は世界一です。

大学に80名、国に40名、都道府県に280名、合計で400名もいます(宇田調べ)。

国民の腹を満たすわけでもない花をこんなに研究している国は日本だけです。

これらの人は農業の分野で花の研究にたずさわる研究者で、造園や植物園関係は含みません。

基礎研究(残念ながら農学にはノーベル賞はありませんが)から、農家がすぐに利用することができる実用的な研究まで、さまざまなレベルの研究が休むことなく、取り組まれています。

それら膨大な研究から、私が独断で選んだ2010年の夢ある新技術を紹介します。

(1)輪ギクの短茎60cmで年5回獲り(農研機構花き研究所、愛知県、愛知県経済連、鹿児島県の共同)

一般に輪ギクの切り花は80~90cmですが、仏花では60cmあれば十分です。

90cmでは年に、最大で2.5回しか収穫できません。

それを60cmの短茎にして、年に5回収穫する技術を開発しました。植えつけてから60日で花を咲かせます。

90cmでは、10a(1,000㎡)あたり10万本の収量ですが、60cmでは20万本収穫できます。



(2)小ギクを機械で一斉収穫(奈良県、香川県、沖縄県、兵庫県、みのる産業の共同)

切り花の生産で、もっとも時間がかかるのは収穫作業です。

花の収穫はハサミで切り取る手作業で、機械化は不可能と考えられていました。

それを奈良県の研究者と農業機械メーカーみのる産業は、小ギクを収穫する機械を開発し、特許をとりました。まず、沖縄のキクで実用化がはじまります。

この機械では、手作業の1/4の時間で収穫ができます。

ただし、花はばらばらに次々と咲いてきますので、それを一斉に咲かせる技術をも同時に開発しています。



(3)高品質のトルコギキョウを冬に咲かせる技術(農研機構花き研究所、広島県、熊本県、茨城県、福岡花き農協の共同)

トルコギキョウの1~2月の入荷量は、7~8月の1/4しかありません。消費者の要望に応えられていません。

そこで、冬にボリュームがある花を確実に咲かせる技術を開発しました。

その技術は、①大きな苗を植えつけ、②ハウスの昼間の温度を高く、夜の温度を低く、③電照をして、④生育初期に重点的に肥料を与える、ことです。

これにより、1年中、高品質なトルコギキョウを生産できるようになります。



(4)病気に強いカーネーション「花恋(かれん)ルージュ」を育成(農研機構花き研究所)

カーネーションの大敵は、「立ち枯れ病」という病気で株が枯れることです。

この病気には農薬が効きません。

病原菌は、かびと細菌ですが、オランダのような涼しい国は、かびによる立ち枯れ病しか発生しません。

細菌に強いカーネーションはオランダでは育成できません。

花き研究所の小野崎さんらは20年以上の研究の結果、枯れないカーネーション「花恋(かれん)ルージュ」を育成しました。「枯れん」と「花恋(かれん)」・・・。

日本は花づくりに適した気象環境とはいえません。

そんな日本で、世界一高品質な花を生産できているのは、農家の高い技術力と勤勉さ、その農家を支える400名の研究者の技術開発力です。

しかし、400名もいるのに、現場で役立つ研究成果の数は多いとはいえません。原因の一つは、研究者と花づくり農家、農協、市場、仲卸、花店などとの交流、意見交換の不足です。

研究者は花産業の苦況に目を向けてください。

花産業で働くみなさま、ことし1年お疲れ様でした。29日が止市、年明けの1月4日の初市まで、花いちばは休みになります。しかし、農家のみなさんは盆も正月もなく、花の栽培管理に追われ、花店のみなさまは年末のかき入れ時です。くれぐれも健康にご留意下さい。

年明けの1月18日は、NaniwaFEX in N.Y.です。なにわのベテラン営業社員がニューヨークで、日本の高品質な花を売りまくります。ご期待下さい。


みなさま、よいお年をお迎えください。


2010年12月14日火曜日

坂の上の雲①昭和6年の淡路の花建設大使節

昭和25年 昭和天皇巡幸をお出迎えする淡路の生産者(新田紫紅園)




砂川忠弥先生顕彰碑(淡路市妙勝寺)



昭和初期の神戸高級園芸市場(兵庫県生花の前身)



今では考えられないことであるが、日本は貧しい国であった。ついこの間まで。


年号が大正から昭和にかわったころ、世界大恐慌にみまわれた。2008年のリーマンショックに比較される100年に一度といわれた大恐慌である。


大商社、鈴木商店が破産をした。銀行や大企業がつぎつぎと倒産し、都会には失業者があふれた。


農村では生糸輸出の激減、デフレによる農産物価格の暴落に加え、冷害による凶作が追い打ちをかけた。娘を身売りし、東北では餓死者がでた。


淡路島は農地が少ないうえに、農家戸数が多い。さらに、失業した次男三男が都会から戻ってきた。米麦だけでは生きてゆけない。農家の困窮は目を覆うばかりであった。


この悲惨な状況をみかねた農会(現在の農業改良普及センターに相当)の若い技術者たちは、有り余っている労力を利用して、集約的な花栽培に取り組もうとした。


島民の期待を一身に背負い「淡路の花建設の大使節」(新淡路新聞 昭和6年12月12日号)は、昭和6年12月、5泊6日の関東の先進地視察に旅だった。交通事情が悪かった時代の必死の思いの長旅であった。新田秀雄、砂川忠弥、土井清、斗ノ内昌一郎ら6名の津名郡農会の若い技手たちである。


視察先


静岡県:浜松、芳川村、飯田村の温室栽培(キウリ、メロン、カーネーション、バラ)


神奈川県:横浜市杉田町の温室、露地栽培(カーネーション、アスパラガス)


東京:玉川温室村(カーネーション)


千葉県:保田、富浦の露地栽培(キンセンカ、スイセン、アスパラガス、千両、コデマリ)


視察を終え、技術者たちは、淡路は関西の房州になりえると確信した。


翌昭和7年夏、3日間にわたり花卉栽培講習会を開いた。講師には、神戸高級園芸市場の畑中宏之佑を招いた。園芸家は技術を公開しないのがあたりまえの時代に、畑中は座学だけでなく、栽培技術をも懇切丁寧に教え、淡路の農民を感激させた。この畑中の長男が兵庫県生花(梅田生花)前社長、故畑中隆博である。


農会では早速に兵庫県から花卉栽培奨励金を得て、種苗を共同購入し、キンセンカ、ルピナス、矢車草、カーネーションなどを栽培した。農会技術者の熱心な指導のもと、切り花はよくできた。

キンセンカは反当たり400~500円と米の10倍以上の粗収入をあげることができた。これにより、一気に花栽培熱が高まり、淡路島は関西の重要な花の供給基地として今日に至っている。


このときの農会の技術者たちは自分でも花を栽培し、技術を向上させるとともに要職を歴任し、一生を淡路の発展にささげた。

新田は津名東農協組合長、県議会議長、砂川は初代東浦町長、土井は一宮町長、斗ノ内はカーネーション専業農家になり名人と謳われた。


淡路の花づくりのきっかけとなった農会技術者の関東視察から、来る平成23年には80年をむかえる。


80年のうち50年は坂の上の雲をめざし、必死で坂道を上り続けた時代であった。勤勉に働きさえすれば、花づくりは儲かった。儲けた金で温室を増やし、家を建て替え、子供に高等教育を受けさせた。


坂の頂にたってしまってからの30年は、目標を見失った時代が続く。働くことはいとわないが、どう働いたらよいのかがわからない。淡路の花づくりだけでなく、日本の花づくり全体がそうなってしまった。日本の国自身がそうである。


しかし、今さら坂の上の雲を見上げた貧しくハングリーであった時代に戻れるわけはない。


豊かな成熟した日本であることを自覚し、この国にあった花づくり、この国の国民が求める品質の花づくりを目指さすしかない。


今、生産者が目指している花は、日本の国民がのぞんでいる花なのか。


花が大きくて、茎が太くて長くて剛直な切り花はハングリーな国が求めている花ではないのか。


成熟した日本国の花は上品で、しなやかであるべきでは。


花業界のプロが品質を決める「裸の王様」状態になっていないか。


てはじめは、数多く開催されている品評会の審査員から、すくなくとも生産者、農業技術者を排除し、もっと普通の消費者の声を聞くことである。


















2010年12月10日金曜日

ノーベル賞受賞鈴木章先生のふるさと北海道むかわ町は小さくても光輝く花産地

鈴木章先生のノーベル賞受賞を祝うむかわ町役場




ノーベル化学賞受賞 鈴木章先生、根岸英一先生おめでとうございます。




鈴木章先生のふるさと、北海道むかわ町を訪問しました。




むかわ町は町をあげての祝賀ムード。役場には大きな垂れ幕が掲げられていました。




鈴木先生より競走馬ナカヤマフェスタのほうが目立つと感じるのは目の錯覚でしょうか。




むかわ町の花づくりは24名、アルストロメリア、スターチス、カーネーション、フリージア、トルコギキョウが主な品目です。小粒な産地ですが1戸あたりの売り上げは北海道のトップクラス(ということは全国のトップクラス)です。




なぜ、むかわ町の花づくりは元気なのでしょうか。




それは、生産者-農協-町役場-普及センターの緻密な連携と、こまわりがきく組織体の小ささです。もちろん、産地となにわ花いちばの担当との緊密な関係もお役に立てていると思います。




花づくりの現場では、農協の評価はかんばしいとはいえません。大きな合併農協になると、個々の生産者のことよりも、農協経営が優先され、資源を貯金や共済に集中せざるをえなくなります。農協の生産者離れです。




幸い、鵡川(むかわ)農協は大型合併農協ではありません。生産者と営農指導員さんとがひじょうに近い距離にあります。




農協なくして農業の発展は考えられません。農協が農協本来の仕事をすること、大きな目を開けて世間の動きをとらえ、進むべき方向を見定め戦略を打ち立てる、それこそ農協の仕事です。

それが生産者に利益をもたらすことを、むかわ町の花づくりは実証しています。