2011年1月31日月曜日

坂の上の雲④平成の開国



世の中、次々と新しい横文字が登場。



いま、マスコミをにぎわしているのはTPP。



「環太平洋パートナーシップ協定」のことだそうです(日本語でも何のことか、よくわかりませんが)。



経済産業省と企業はTPP賛成、農林水産省と農業団体はTPP反対。



国論を二分。



日本農業は関税で保護されているから、いつまでたっても自立できない、というのが賛成派の言い分。一方、反対派は関税撤廃では日本農業が壊滅し、食糧自給率がさらに下がるとの考えです。



新聞に農産物の関税率一覧がのっていました。



コンニャク1,706%、コメ778%、落花生737%、小豆403%、大麦256%、小麦252%・・・。



つまり、1万円で輸入されたコメには7万7,800円の関税がかけられているということです。



この記事を見た花屋さんから質問がありました。



花の関税は何%?



0%です。


いつから?


はじめからです。花には関税がかかったことがありません。最初から0%です。



菅首相は平成の開国というが、花は昭和の時代から開国してきたのです。オランダ、コロンビア、ケニヤ、インド、中国、台湾、韓国・・、日本の花は世界の国に門戸を閉ざしたことがありません。


その結果、国内の花生産は輸入に浸食され続けています。


だからといって、輸入の花に、コンニャクのような1,706%の関税をかけて、花農家を保護するという選択肢はありません。花はもともと市場経済、世界の花と競争し、儲けるのも損をするのも自分の勝手で成長してきた産業です。


輸入アリは輸出もアリです。受け身から攻めの農業、それが平成の開国です。


「日本の高品質な花は世界に通用する」を、今年もnaniwaFEX in NewYork(2011年1月18日)で実証しました。その様子は、さまざまなメディアで取り上げられました。なにわ花いちばHPでご確認下さい。


アメリカで人気は、スイートピー、ラナンキュラス、グロリオサ、ホワイトスター(オキシペタラム)など日本のオリジナル品目、品種です。もともとアメリカの花は、アンディ・マツイ氏に代表される日系人が作ってきたのですから、日本人の繊細な感性と技術で作り上げた日本の花はアメリカ人に受け入れられるのは当然でしょう。まさに、「日本の高品質な花は世界に通用する」です。


足らないのは、輸出の経験とノウハウ。


捨て去るべきは、「日本の花は高品質だが高いので、輸出なんてできない」という思い込み。


世界で唯一の花の消費大国で、生産大国である日本は、「輸出大国にもなれる」を証明したnaniwaFEX in N.Y.でした。


生産者のみなさま、世界に撃って出ませんか。


2011年1月23日日曜日

坂の上の雲③アンディ・マツイは潮目を読んだ

アメリカンドリーム。全米の洋ラン25%のシェアをもつアンディ・マツイ 氏



4人の子供は全員ハーバード卒。次女キャシーはゴールドマン・サックス幹部。働く親の背中を見て育った。





1961年(昭和36年)、松井紀潔(としきよ)は1万円札1枚をにぎりしめて、サンフランシスコにたどりついた。17日間のきつい船旅であった。



松井は1935年(昭和10年)、奈良県の「行き止まりの村」で1町6反の土地を持つ農家の長男として生まれた。やせた土地に米、麦、野菜を作っていた。18歳の時、家族はみんな仏教徒であるが、洗礼をうけてアンディになった。大学進学など夢の話。将来を決めあぐねていた。



25歳の時、「行き止まり」を出る決心をした。親から、先祖代々の土地を引き継ぐのに20年も待つ気にはなれなかった。両親に「二度と敷居をまたぐな」といわれた。



カリフォルニア、サリナス。キク農場で働いた。時給80セント。働いて働いてお金を貯めた。



1967年(昭和42年)に借地でキク栽培をはじめた。家を建てる金はない。トレーラに子供を残して妻と働いた。彼のキクは見事だった。彼は本物の百姓だった。



2年後には借金で20haの土地を買い、温室を建てた。アメリカのキク生産の15%を占めるまでになった。しかし、オイルショック以降の消費構造の変化に気づいた。ハデ好きのアメリカ人にキクはにあわない。バラに転換した。そのバラも1980年代の終わりごろから、南米からの輸入により、苦境におちいる。バラに見切りを付け、十分な準備の後、1998年(平成10年)に洋ランの鉢栽培をはじめた。63歳になっていた。



今、アンディ・マツイは全米の25%の洋ランを生産し、蘭の帝王とよばれている。成功の秘密は、潮目を読み、余力があるうちに転換したこと。65軒あった日系花栽培農家は破産するなどして3軒しか残っていない。



4人の子供はハーバード大学を卒業した。4人兄妹がそろってハーバードを卒業した例は他にはない。次女キャシーはゴールドマン・サックス証券幹部。農場で働く親の背中を見て育った。子供が学ぶべきことは、「働くことの大切さ」、「人を思いやり、助けようとする気持ちの大切さ」と主張する。



アンディの資産は100億円。子供に残すつもりはない。貧しさのため進学できない子供たちのために、奨学金制度をつくった。農場は、かっての自分と同じ境遇のメキシコからの移民が大半の従業員に継がせる。



優勝劣敗。



アメリカンドリーム。



ひるがえってわが日本。わたしたち。



2010年、カーネーションの輸入は推定45%。2011年には50%を超え、国産と逆転するだろう。これが潮目だろうか。



潮目を読めず、読めたとしても決断できない、「行き止まりの村」に住み続ける、アンディになれなかった私たちはどうしたらよいのか。



この国は、優れたものだけが勝ち残る優勝劣敗の国であってはならない。



大型化、企業化、合理化だけをすすめるオランダ型花づくりであってもならない。



小農が、「行き止まりの村」で、花づくりをして生きていける国でなければならない。



そのためには、



①小農は1軒だけでは小農のままである。まとまらなければならない。



②顧客が誰かを知る



③顧客が欲しいときに欲しい量を納入できる栽培技術



④日本人が得意なこまやかな品質の花づくり



⑤いますぐできる目の前のカイゼン



まず、フラワーバレンタインを成功させましょう。生産者-市場-花店の連携です。






2011年1月11日火曜日

坂の上の雲②短期農業労務者派米制度

派米農村青年の横浜港出港(昭和31年(1956))




カリフォルニア・オックスナードの農場で厳しいイチゴの収穫作業が終日続く(写真は国際農業交流協会編 農業青年海外派遣事業五十年史)




今では考えられないことであるが、日本は貧しい国であった。ついこの間まで。

最近、花の産地を訪れると、ハウスや選花場で働いている若い女性を見かける。なにか様子がちがう。話しかけてみて納得。中国人研修生。

生産者は社長とよばれ、なんとなく偉くなったような気がする。

生産者同士の会話は、「うちの研修生は・・・」、「やっぱり中国人は・・・」。

日本人も、中国人研修生と同じ境遇にあったことを忘れている。いや知っている人はほとんどいない。若者は、昔からずっと豊かな国であったと錯覚している。

そんなに昔の話ではない。戦前でもない。

昭和30年代に、「短期農業労務者派米制度」があり、多くの農村青年が、研修という名目でアメリカへ渡り、農場で働いた。中国人のはなしではない。日本人が、である。農業労務者!。

昭和39年(1964)には東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開かれた。日本が先進国の仲間入りを果たしたと考えられていた時代。すでにそんな時代であったが、農家の次男、三男は独立経営を目指して、アメリカに渡った。3年間一生懸命働いて強いドルを持ち帰り、土地を手に入れ、自分の農場をもつ、そんな夢をいだいて、過酷な労働に耐えた。

北京オリンピックが開かれ、上海万博が成功し、GNPで世界第二位になった中国からの研修生が、日本の3K職場を支えているのと、なんとよく似た光景か。

企業経営には安定した労働力が不可欠で、中国人研修生は有効な手段であることはまちがいない。

勤勉に働いて、企業農家になり、パートを雇い、中国人研修生を受け入れ、社長とよばれるようになった。

でも花が安い。年々、売り上げが減っている。

いまさら、カリフォルニアの地平線まで続く農場で、這いずり回ってキャベツを収穫し、イチゴを摘み取っていた時代に、日本人は戻れない。

今できること、しなければならないことは、「入」を増やし、「出」を減らすこと。

そんななこと誰でもわかっている。

それができないから困っている。

むつかしく考えるからむつかしい。

大きなことを考えるからむつかしい。

目の前の一歩。

「入」を増やすには、昨年7月29日「指の間から1円玉がこぼれ落ちています」で、説明しました。

本来得るべきお金を失っているイージーミスをなくすこと。

次に「出」を減らすには、生産コストを削減するより先に、生活費を少し減らしましょう。

農家はつきあいが広い。サラリーマンと違い、昼間、家にいるので世話役が多い。花生産組織の役員だけでなく、隣保長、農会長、農協総代、農協理事、土地改良区、農業委員会、消防団、同窓会、PTA、少年野球のコーチ、カラオケの会、公民館・・・。それぞれに総会、役員会、忘年会、新年会、花見、暑気払い、打ち上げ、旅行・・・。そして冠婚葬祭のおつきあい

おおきなおせわ?


2011年1月3日月曜日

憧れの花を扱う職業

2011年は大西社長の初せりから始まりました。



明けましておめでとうございます。

新年早々にはnaniwaFEX in N.Y.(1月18日)。2月には業界一丸となったフラワーバレンタインです。

2011年は花産業の反転攻勢の年です。

人の好みはさまざまですが、老若男女、誰もが贈られて嬉しいのが花です。人生の節目には必ず花があります。誕生日、入学式、卒業式、結婚、退職・・、そして葬儀、極楽浄土のお供え。

贈られてうれしく、飾って幸せ。いつも身近にあるのに、憧れの存在、それが花です。

そんな花に関わる、花農家、運送業者、市場、花店、デザイナー・・・、立場は違っても、誇りと生き甲斐がある職業です。

「花産業の発展」、「消費拡大」など大上段に振りかぶってしまうと、よそ事で抽象的、どうしていいかわからないことになります。

しかし、「誰もが憧れる花を扱う誇りと生き甲斐ある自分の職業、職場を守る」と考えると、自分のことで具体的になります。2011年はその節目の年です。

輸入に打ち勝ち、生産を続けることができた先進国はこれまでなかったのですから。先進国は花の消費国ですが、生産国でもあり続けているのは日本だけです。

成熟した日本の花産業が手本とすべき国はありません。わたしたち自身の職業、職場を守ることで、先進国で花を生産し、大量に消費する国に、日本が世界ではじめてなれるのです。

自分たちの職場を守るには、花産業の他の職場をよく知ることです。よく知って連携すること、そして足もとを固めつつ、新しいことにチャレンジすることです。

市場は情報の集積基地、発信基地です。生産者、花店の仲立ちが市場の役割です。

今年も情報を発信します。


ご期待下さい。