2011年1月23日日曜日

坂の上の雲③アンディ・マツイは潮目を読んだ

アメリカンドリーム。全米の洋ラン25%のシェアをもつアンディ・マツイ 氏



4人の子供は全員ハーバード卒。次女キャシーはゴールドマン・サックス幹部。働く親の背中を見て育った。





1961年(昭和36年)、松井紀潔(としきよ)は1万円札1枚をにぎりしめて、サンフランシスコにたどりついた。17日間のきつい船旅であった。



松井は1935年(昭和10年)、奈良県の「行き止まりの村」で1町6反の土地を持つ農家の長男として生まれた。やせた土地に米、麦、野菜を作っていた。18歳の時、家族はみんな仏教徒であるが、洗礼をうけてアンディになった。大学進学など夢の話。将来を決めあぐねていた。



25歳の時、「行き止まり」を出る決心をした。親から、先祖代々の土地を引き継ぐのに20年も待つ気にはなれなかった。両親に「二度と敷居をまたぐな」といわれた。



カリフォルニア、サリナス。キク農場で働いた。時給80セント。働いて働いてお金を貯めた。



1967年(昭和42年)に借地でキク栽培をはじめた。家を建てる金はない。トレーラに子供を残して妻と働いた。彼のキクは見事だった。彼は本物の百姓だった。



2年後には借金で20haの土地を買い、温室を建てた。アメリカのキク生産の15%を占めるまでになった。しかし、オイルショック以降の消費構造の変化に気づいた。ハデ好きのアメリカ人にキクはにあわない。バラに転換した。そのバラも1980年代の終わりごろから、南米からの輸入により、苦境におちいる。バラに見切りを付け、十分な準備の後、1998年(平成10年)に洋ランの鉢栽培をはじめた。63歳になっていた。



今、アンディ・マツイは全米の25%の洋ランを生産し、蘭の帝王とよばれている。成功の秘密は、潮目を読み、余力があるうちに転換したこと。65軒あった日系花栽培農家は破産するなどして3軒しか残っていない。



4人の子供はハーバード大学を卒業した。4人兄妹がそろってハーバードを卒業した例は他にはない。次女キャシーはゴールドマン・サックス証券幹部。農場で働く親の背中を見て育った。子供が学ぶべきことは、「働くことの大切さ」、「人を思いやり、助けようとする気持ちの大切さ」と主張する。



アンディの資産は100億円。子供に残すつもりはない。貧しさのため進学できない子供たちのために、奨学金制度をつくった。農場は、かっての自分と同じ境遇のメキシコからの移民が大半の従業員に継がせる。



優勝劣敗。



アメリカンドリーム。



ひるがえってわが日本。わたしたち。



2010年、カーネーションの輸入は推定45%。2011年には50%を超え、国産と逆転するだろう。これが潮目だろうか。



潮目を読めず、読めたとしても決断できない、「行き止まりの村」に住み続ける、アンディになれなかった私たちはどうしたらよいのか。



この国は、優れたものだけが勝ち残る優勝劣敗の国であってはならない。



大型化、企業化、合理化だけをすすめるオランダ型花づくりであってもならない。



小農が、「行き止まりの村」で、花づくりをして生きていける国でなければならない。



そのためには、



①小農は1軒だけでは小農のままである。まとまらなければならない。



②顧客が誰かを知る



③顧客が欲しいときに欲しい量を納入できる栽培技術



④日本人が得意なこまやかな品質の花づくり



⑤いますぐできる目の前のカイゼン



まず、フラワーバレンタインを成功させましょう。生産者-市場-花店の連携です。