戦前の「実際園芸」誌(現在の「農耕と園芸」の前身)
そのためには?マーケティング?
「作れば売れた時代は終わった」といわれている。
その意味は、「今までは、努力しなくても作れば売れた」、しかし「今は売るには努力、工夫が必要である」ということであろう。
花生産100年。花はそんな簡単に売れていたのか?
雑誌に、次のような記事がある。
「花の生産者は、いつも、都会の市況に通じておくことが大切である。最近、どういう切り花が好まれるか、またどう変わっていくかということに注意を怠ってはならない。実際、作ることは苦労ではなく、上手に売ることに骨の折れる時代になっている。高値に売る方策を考えることが、生産者には必要である。」
これは最近の記事ではない。
「実際園芸」 昭和3年(1928年)12月号の記事である(旧仮名遣いを現代文に変換)。「実際園芸」は現在の「農耕と園芸」の戦前の誌名。大正14年(1925年)創刊の名門雑誌。
書いたのは、編集主幹 石井勇義。花業界の偉人。
プリムラやシネラリアなどの洋花を採種、販売するとともに、実際園芸を創刊し、編集主幹を務めた。園芸の啓蒙書を多数著し、「野生植物の牧野富太郎」に対して、「園芸植物の石井勇義」と賞された。最大の功績は21年を費やした「園芸大辞典」の編纂。
実際栽培に通じ、月刊雑誌を編集し、大学で教鞭を執り、園芸大辞典を編纂する、もはやこんな巨人が生まれることはないだろう。
その石井が指摘したように、昭和3年でさえ、「作れば売れた時代」ではなかった。
嗜好品の花には、作れば売れた時代などなかった。
生産が今より少なかった戦前、戦後でも、花の値段は乱高下が激しく、高値で安定して売れたことなどなかった。
花は、必需品でないだけに、売る努力、工夫ををしなければ、買っていただけないのが宿命。
今までも売る努力を怠ったことなどない。
今までと違うのは、売るための努力、工夫の「質」が問われるようになったこと。
「質」とは、顧客の要望にあわせた生産と納入。
そのためには?マーケティング?
生産者も花屋さんや世間のみなさまに、わからないことばをしゃべっています(2010年10月10日ブログで紹介)が、大学の先生や指導者の方々も、生産者には理解できないことばを話しています。
「マーケティング」って、なにをするの?
バブルのころには、「市場や花屋さんと定期的にゴルフをすること」と思っていました(ホント)。
「顧客の要望にあわせた生産と納入」の第一歩は、生産者-市場-花屋さんとの綿密な情報交換です。
その場が市場です。