それを60cmの短茎にして、年に5回収穫する技術を開発しました。植えつけてから60日で花を咲かせます。
しかし、400名もいるのに、現場で役立つ研究成果の数は多いとはいえません。原因の一つは、研究者と花づくり農家、農協、市場、仲卸、花店などとの交流、意見交換の不足です。
お盆商戦お疲れ様でした。
猛暑の季節に、1年中でもっとも多くの花を取り扱う、人にとっても花にとっても過酷な物日がお盆です。
銀座ソニービル「母の日イベント 銀座に5,000本の国産カーネーション畑」(2010年4月6~11日)
今年の母の日は5月9日
「母の日」に、秘められた思い。
ここに一つの調査がある。
「母の日」の由来を知っていますか。
以前から知っていた・・・・29% 知らなかった・・・・71%
日本人にもなじみ深い5月第2日曜日の「母の日」。しかしその誕生に秘められた思いを知っている人は、決して多くはない。
これは朝日新聞4月30日の全面広告です。
朝日新聞は、「母の日」の由来を知っている人が29%を「決して多くはない」と書いていますが、29%もの人が知っているのはスゴイことではないでしょうか。花業界に身を置く人たちでさえ、由来を知っている人はそんなに多くはありません。その証拠に、2年前の2008年は「母の日100年」でしたが、花業界で100周年記念イベントはありませんでした。なにわ花いちばでもカーネーション担当者が、手作りの「母の日100年」ポスターを場内に張り出しただけでした。せっかくのビジネスチャンスを逃していたのです。
「母の日」の由来については、この朝日新聞記事をはじめ、いろいろ書かれています。
ここでは、月刊誌「実際園芸」1928年(昭和3年)5月号の記事をご紹介しましょう。実際園芸誌は、現在の誠文堂新光社「農耕と園芸」の前身です。
まず、1928年(昭和3年)当時には「母の日」という名称はまだなかったようです。
記事の題名は「園芸家の忘れてはならぬマザーズデーの話 恩地 剛」。英語そのままの「マザーズデー」が使われています。
「フィラデルフィア州のアンナ・ジャービス嬢は、非常に母思いの深い人であり、年々5月の第二日曜日を、その母への感謝日と定めて、母の属する協会に、母の最愛の純白色のカーネーションを装飾し、日曜学校の子供達や、自分の友人知己、協会の仲間を招いて、賛美歌「母を慕う」を合唱してもらい、来会者一同には純白のカーネーションを胸に飾ってもらうことにし、心からの感謝と愛慕をその母に捧げたのであります。これが年とともに、驚くべき勢力をもって今日の如き流行をみるにいたり、アメリカ政府は、国祭日の一つに加えたのであります。私は、やがてこの流行がわが国にも渡来し、かつ歓迎されるものと信ずるものであります。」
この記事を書いた恩地さんが願ったように、日本でもマザーズデーは「母の日」と呼ばれるようになり、一大イベントとなりました。
さて、「母の日」のひとつの起源は、1908年(明治41年)にアンナ・ジャービスさんが、日曜日の礼拝で、参列者に白いカーネーションを手渡し、亡き母をしのんだことに由来します。しかし、アンナさんはもともとたいへん信仰心が厚い方で、それ以前からお母さんに感謝することを、みんなに説いていました。ですから、あえて1908年にこだわる必要はありません。
それより、1914年(大正3年)に、ウイルソン大統領が5月の第2日曜日を国の祝日にしたことが、正式な「母の日」の起源でしょう。そうすると、2010年5月9日は、96回目の「母の日」で、「母の日100年」は、4年後の2014年(平成26年)になります。そのときには国をあげての大イベントにしましょう。
みなさん、「2014年(平成26年)母の日100年」をお忘れなく。
暖地の花生産者にとって、春の彼岸の市況は経営的、精神的に大きな影響を及ぼします。
高い重油、灯油を焚いてハウスを暖房し、ひたすら彼岸に花を咲かせることを目標に、手入れをしてきたのですから。1月、2月は売り上げよりも暖房経費のほうが多くかかっています。それだけに、彼岸の市況が低いと意気消沈で、将来が一挙に不安になってしまいます。
幸い、今年の彼岸は花屋さんのがんばりで、そこそこ花が売れたようです。産地もなんとか息をつけたといった状況でしょうか。
この彼岸商戦から、今の花産業の問題点が見えてきます。
①春の彼岸に花を咲かせる作型は、もっとも生産コスト、暖房経費がかかります。そのため、生産者は経営全体をみすえて、コストのかかる彼岸を減らし、コストがかからない春などに生産の重点をシフトする傾向があります。これは燃油高騰の対策として、行政が指導している点でもあります。
②その結果、彼岸に必要な量が供給できなくなります。国内で生産と消費が完結していた時代なら、「供給不足→価格高騰→翌年は生産過剰→暴落→」となっていました。「高値」が忘れられない、ばくち大好きの生産者にとっては面白い時代でした。
③今は安定供給が最優先です。春の彼岸、卒業式などで、決まった量の花が必要です。国内生産者が供給できなければ、供給先を世界に求めるのは当然です。国産が減った分だけ輸入が増える、「悪循環」におちいります。輸入が増えたから国産が減ったのではなく、国産が減ったから輸入が増えたのです。
④そんなことは生産者は百も承知です。作っても市況が安く、儲からないから作らない、作らないから輸入が増える、輸入が増えると単価が下がる・・・。卵が先か鶏が先かの議論になってしまいます。
⑤生産者には、高品質の花を作るDNA、匠のわざのDNAしかありません。それだからこそ、前回紹介したように、ニューヨークっ子を驚かせる、世界に通用する日本の高品質な花を作ることができるのです。大工さんにも旋盤工にも日本人にこのDNAがあるから、小国日本が世界で生きていけるのです。
⑥今必要なことは、従来からの高品質な秀2Lをめざす経営と、高品質なMクラスの花をめざす経営の分離、すみ分けです。ホームユース、家庭に飾る花はすでに定着しています。消費者がそれらを手に入れるのはスーパーマーケットや量販店ということも定着しています。「カジュアルフラワー」は「安かろう悪かろう」のイメージが強く、各方面からさんざん非難され、言葉としても、実際の花としても定着することができませんでした。その後、ユニクロの登場で、カジュアルのイメージが一挙に向上しました。
⑦カジュアルフラワーという言葉の復権と、ユニクロのように高品質なカジュアルフラワーを生産する経営、生産者、産地の登場がのぞまれます。すなわち、秀2Lをめざしたけれど、手入れ、ハウス環境がうまくいかずにMになったMではなく、Mをめざした高品質なMの生産です。これが今求められるカジュアルな花です。そのためには、品目ごとにカジュアルな花の高品質とはどんな品質かの定義、目標が必要です。その品質目標(当然、坪当たりの収量目標も)に向けた栽培技術を組み立てることが緊急の課題です。